公開: 2021年5月2日
更新: 2021年5月29<日
1990年代の初め、当時の文部省は、小中学校の初等教育を、既に知られている知識を理解し、応用できる能力を重視した教育から、まだ理解されていない問題を見つけ出し、その解決策を手探りで探すことができる人材の育成へと転換すべきと考えていた。そのためには、「詰め込み教育」と呼ばれていた従来型の初等教育を止めて、一つの問題に時間をかけて掘り下げる、新しい小中学校教育に変えなければならないとして、それを「ゆとり教育」と名付けた。
当時、よく話題にされたように、それまでは「円周率は3.14である」と教えていたのに対して、「円周率は約3で良い」としたのである。これは、円周率の具体的な値を、より正確に記憶するよりも、円周率の意味の理解を深める方が重要であると考えたからであった。また、学校で学ぶべき知識の量も、それまでより少なくして、より深く理解することに重点を置いた。これによって、小中学校で使われる教科書の厚さ(ページ数)は、薄く(少なく)なった。しかし、これに対して、父兄や現場教師からは、「学力が低下する」との批判が根強かった。
答えが分かっていない問題を「考える力をつけなければならない」として、その「考える力」をつけるために新しい科目が導入された。その新科目が、「総合学習」であった。これは、特定の科目に関係している問題とは言えない問題を、小中学生自身が探し出し、互いに議論することで、何を解明しなければならないのかを見出し、具体的に議論を通して解明する努力を行い、自分たちが解明し、理解した結果をまとめて、他の人々に発表して、自分たちの理解の正当性を主張させようとしたものであった。
この総合学習については、特に現場での教育に当たる教員から、生徒達をどのように指導し、何を教えるべきなのか、そして、生徒達の学習の進み具合や、学習の成果をどう評価して成績をつけるべきなのかが、分からないと言う疑問が出されていた。具体的には、個々の生徒に対して、研究目的を設定させ、具体的に明らかにすべき課題を挙げさせ、その課題を解く過程の進み具合を記録させ、最後の説明の資料と議論のやり方についての記録をまとめさせて、それぞれに教師が所見を記入してゆく、ポートフォリオ方式が確立していたが、現場の教員にはその知識も経験もなく、実践することができなかった。そのようなことは、教員養成課程で学んでいなかったからである。ゆとり教育は、開始後、約10年ほどで縮小となり、その後は、以前からの教育に近い形式に戻ったのである。
この「ゆとり教育」の失敗は、これからの日本の発展において、克服しなければならない問題を、残したまま、現状を維持すると言う「日本的」な解決策が社会的に好まれていることを如実に示した出来事であった。この「ゆとり教育」の精神は、1980年代から、米国の小学校で取り入れられて来た教育の方法であり、少なくとも米国の多くの小学校で、実施されて来たやり方である。このようにして育てられて来た若者と、従来の日本的な教育方法で育てられた若者では、短期的な学力の評価では、日本の若者の方が有利に見えるが、長期的には、優秀な米国の若者に勝つことは難しい。
それでも、ゆとり教育は間違っていない、寺脇 研、扶桑社、2007